不妊治療のこと その2

自分のリンパ球を移植してやる方法も試しました。
3回目の採卵の時、私にしては多めに卵子が残ったので、3回目と
4回目はそれを使って顕微しました。

私は上2人がいるので、だめでもそれほど落ち込むこともなく
(落ちこんでいる時間があまりなかったともいう)、結構気持ちの
切り替えはうまくできていたほうだと思います。

ただ年齢のことも考えて自分たちの中でリミットは設けていました。

4回目の採卵のときに、先生と相談して「二段階胚移植」すること
にしました。
まず初期胚移植と同じで受精卵1個を子宮の中に戻します。
この受精卵を戻すと子宮は着床の準備を始めます。
残りの受精卵は体外で培養し、胚盤胞となったところで、準備が
整った子宮の中へ移植するという流れだったと思います。
しかも、この周期は採卵周期で、いわゆる一般的には採卵周期での
妊娠はまぁまぁ難しいと思われているようでした。

結果的にこの2段階で成功しました。
どちらが着床したかは分かりませんが、もともと卵子が少ない私
にとっては、一つでも胚盤胞まで育ってそれを戻せたということ
自体が奇跡みたいに感じます。

看護師さんたちは自分たちのことのように喜んでくれて、そのときに
採卵周期でなんてすごい、みたいなことを言われたので、運が
よかったのかもしれません。

割ときっちり生理がくるタイプだったので、遅れている時点で、
もしやというのはありましたが、流産のこともあるので、病院から
指定された日付(いわゆる生理予定日から1週間後)にきっちり検査薬
で確認しました。

くっきり出ていたので病院に連絡して妊娠を確認。
でも高齢なのもあり、病院側も慎重に経過をみてくれました。
私もかなり慎重。
ぬか喜びにならないよう喜びは抑えめにと、自分で結構予防線を
はっていたかも…。

不妊病院で1週間に1回、8週くらいまではみてもらったと思います。
心拍確認とその後の経過が問題なかったので、病院を卒業すること
になりました。

検診最後の日、看護師さんたちからこっそり呼ばれて行ってみると、
なんと大きな花束を渡されました。

よく思い返してみると、体外で成功して病院を卒業すること自体が
それほど多くないのかもしれません。
私が通院していた1年の間、花束持って出て行った人を私が気付く
限りですが見かけていません。
もちろん私が通院していない日にはいたと思うし、単に気付かなかった
だけかもしれません。
それに体外ではない場合はどうやら花束がなかったようです(知人談)。

でもこのときに、あぁやっぱり運がよかった…と改めて思ったのは
本当です。
一生懸命対応してくれた病院の方たちや旦那さん、通院しながらも
勤めることができたので会社にも感謝です。

次は母子手帳をとって、産む病院にかかってね、ということだったので、
その時点で予約しましたが、普通に予約がいっぱいで、確かまるまる
2週間はあいたと思います。

妊娠経過について その1に続く…

思ったこと‐1人目のとき

排卵誘発剤と黄体ホルモン安定とタイミング
あと卵管造影

正直2周期目で妊娠できたことはすごくラッキーだったと思います。
同時になんでもっと早く治療に行かなかったんだろう、とも思いました。
まぁでも行こう!と思うまでも、なかなか葛藤がありますよね。。。

その周期の治療が終わると次がくるまでまた不安に襲われます。
これは一体いつまでやればいいんだろう…とか。
確実性がない分、不安も大きくなるものです。

私の場合、旦那さんにいろいろ相談したり話をしたりしていたので、
そういったことは結構解消できていたと思います。
治療は2人で向き合って同じ方向を向いていないと厳しいですね…。

妊娠判明~病院決定‐1人目

たかだか2周期目でもんもんとしてるなんて、この先思いやられる
という声が聞こえてきそうですが…
前回治療開始して、高温期がすごく安定していた上に体温もかつて
ないくらいに良い感じで推移していたので、なんとなくの予感は
ありました。

そして…

2008年11月末に妊娠発覚!
待ちに待った妊娠でした。

生理予定日から1週間後の日、ほぼ確信があったのですが、朝一で
トイレに入って妊娠検査薬で確認。
すぐに陽性反応!
「キターーーーーーー」
と思いました(笑)
旦那に報告したかったのですが、まだぐうすか寝てたので、起こして
から伝えると、「マジでーーーーー!」
次の日、病院に行くことに。

そこからまずは
胎嚢確認→心拍確認まで心配で心配で。
12月の中旬に心拍確認した時はホッと一安心。
その後はその後でまたちゃんと育つか心配で…

うちの両親はかなり喜んでました。
旦那さんの両親も喜んでくれましたが、報告した時はまだ週数が
浅かったので、慎重な感じだったかな。

私の弟の奥さんも同時期に妊娠してました。

初めて超音波の写真をもらったときは感動しました。
こんなに小さいけど生きてることに感動。

最初に通っていた病院では産めなかったので、病院探しを
旦那さんと開始。
旦那さんが、せっかくだから贅沢すれば?と言ってくれたので、
ちょっと恐縮しつつも、ある有名な病院に決定。
もともと、別の病気で通っていたことがあって(腎盂炎)、診察券が
あったことと、練馬から地下鉄1本で行けることも決め手になったかな。

不妊治療開始‐1人目

病院はとてもキレイなところでした。
なんだろう、ホテルの受付みたいな感じ。
受付の人も本当に親切で丁寧。
不妊専門病院というだけあって、できる限り子連れでこないよう書いてありました。
(2人目不妊とかだと1人目いるしね)
子供ができない人への配慮が結構徹底されていました。

さて、先生はかなりテキパキはっきりした人でした。
当時私は正社員で働いていたので、このさっぱりした感じが診察時間も短くて良かったです。
人によってはぶっきらぼうで怖い、となりそうですね。
ある程度の知識は自分で調べてあるよね、っていう前提で話をする先生でした。

まずは私。
検査の結果、程度はひどくないもののホルモンバランスが悪いという結果でした。
黄体ホルモンの値が標準といわれる値より低かったです。
基礎体温も高温期が安定しなかったのはこのためのようです。
排卵はちゃんとしていました。
ちなみに私は32歳で病院に行きましたが、先生にはまだ若いほうって言われました。

旦那さん。
全く問題なし。

ということで主な治療は私のみとなりました。
この検査の間に1周期目がやってきたのでそこはタイミングのみ一応指導を受けました。
が、結果は出ず。

2周期目が来るまでにやったことは…
・排卵誘発剤を飲む(錠剤)
・卵管造影検査をする
・先生の指導のもとタイミングをはかる
でした。

卵管造影検査は、人によっては気分が悪くなったりとかあるようですが、
私はそういったことはなく、検査後すぐに出社しました。
指示通りタイミングをはかり、あとは結果を待つのみ…

なんとなく緊張するものです…。
でもこの治療は一体いつまで続くんだろうとか、漠然とした不安は既に
持っていました。
やたらとネットで調べてしまったり…

そんなこんなで日々を過ごしていました。

なかなか子供ができない‐1人目

日常に加えてちょいちょい不妊治療のこととかも織り交ぜて書いてみようと思う。

いわゆる当時は「不妊」と呼ばれるのが、子作りしてるのに2年間子供ができないこととか言われていた、たぶん…。
今はいろいろ言われているけど、私個人としては欲しいのに期間問わずなかなかできなければ病院に行ってみてもいいんじゃないかと思う。
これはデリケートな問題だから、自分の気持ちと旦那さんの気持ちを尊重して夫婦それぞれで方向を決めないと、治療が長引いたときにきっと大変なんだろうと思う。

そんなわけでなかなかできなかったのと私の年齢的なものもあって、病院に行くことに。

まずは病院探しから。
たくさん調べて結構頻繁に通うことになっても大丈夫なように近場で探す。
何となく専門病院のほうがそれに特化してるのでいいかなーとかそんな理由で病院を探していた。
…といっても近場に不妊専門病院なんてそんなにない。

都内で有名な専門病院っていくつかあるのだけど(当時都内在住)、そこ出身の先生が近場で開院していたのでそこに決定!
当時住んでいた最寄りの駅から2駅。駅からも近い。

当時私は32歳でした。